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#13 おいないさ、伊勢
あり得ないくらい雨の日が続く9月、いかがお過ごしか。
毎年残暑に苦労していたここ数年とは打って変わってずっと雨。意外とそれはそれで辛い。曇りでいいから雨は降らないでほしいと思うこの頃。
伊勢に行ってきた。
また伊勢かと思われそうだが、今回は元々伊勢で予定があったのでそのついでに観光しただけである
(伊勢でなぜ予定があるのかという話もある)
まあ趣味の範囲の予定だが🪽
伊勢という街は日本人であれば誰もが知る通り伊勢神宮がある街であるが、この街は他の観光都市と違いほぼ観光地化されていない。
一番観光客で賑わうおかげ横丁ですら外国人価格の導入がほぼないし美味しい食事屋がたくさん並んでいる、令和にして良い意味で令和らしくない街なのだ。

人は多い 元々奴隷になってから何回か伊勢に訪れてからというものこの街が好きになっていたが、ここ1年はその好きに磨きがかかって年4回ペースで通っているは中々ワタシらしい(悪い意味で)
伊勢神宮はいつ行っても変わらないはずなのに、いつも表情が変わってるように感じる。
神宮はどちらも変わるはずがないのだから、変わっているのは人なのだが。

宇治橋を渡った後の五十鈴川 個人的には内宮よりも外宮が好みである。
どちらも筆舌し難いほど心落ち着く場所なのは間違いないが、外宮の鳥居から先の玉砂利を鳴らしながら歩く時間は全身を無にしてただ自然を感じられると勝手に思っている。
神宮に来る時はたいてい自分が苦しい時に来ている。それは表面的な苦しさではなく内面的な、あえて言えば答えのない問題を解いてる時が大抵である。
ここに来たからといって誰もその問題にヒントは与えてくれないし、何も進むことはない。
でも、ここに来るとなぜか気持ちがリセットされて新しい考えが浮かんだりするものである。
そんな神宮のある街でまたいいお店を見つけてしまったので備忘のために書く。
伊勢うどん発祥のお店
平日のお昼前なのに並ぶ行列店。
伊勢うどんはコシが弱くどちらかというと柔麺なのだが、その麺がタレと絡むと絶妙に美味しい。
次も必ず。

ホンマに美味しい そしてもう一店舗
昨年できた新しいカフェ、地元の人でずっと賑わっているローカル店舗。
“知る人ぞ知る”お店なのだが美味しいコーヒーと共にオーナーのお話が本当に面白い。
今回はお腹がすでに満腹で食べれなかったが、次はホットサンドもいただきたいところである。

伊勢には他にも博物館やおかげ横丁など沢山の観光名所がある。是非来てほしい、伊勢に。
今年も3/4が過ぎた。
地獄の生活も残り半年と思うとなんとか耐えるしかないという気持ちである。
気持ちを新たに10月。
P.S3Qが終わりそうだが、絶望的な数値を叩き出しそうである。
まあマイナスではないだけマシなのかもしれないが…

伊勢 -
#12 ニューマイノーマル
半袖の上から一枚羽織りたくなる時期が今年はもうやってきた。
珍しく秋を感じることができるそうな9月、いかがお過ごしか🍂

🏴の夏気温くらいの最近 最近中高の友達が家に来て一緒にご飯を食べたが、仕事を辞めてニートだと思われていた。
毎週上がる旅行の写真を考えれば至極真っ当な判断。
恐らくそれなりに仲が良い人以外にお仕事や稼業の話を一切していないうえに、普段からあまりにも言動が社会不適合すぎるのが原因かもしれない…
社会的弱者として見下される方がやり易いので一周回って得なのかもしれない(特大のいいえ)
(仲良い人以外にはニートって言ってるのはある)
家に来てくれた彼もそうだが、26にもなると周りの結婚ラッシュがやってくる。あまりにも淡々と、でもそれは間違いなく数が増えていく。
少し前までは一緒に馬鹿やってたあいつが、今では家庭を持って立派なパパママというのをこんなにも早く感じるとは、時は無情だ。
人生は不平等の連続でしかないが、時間だけは平等である。現実から逃げても現実と闘っても同じだけ時は過ぎていく。
最期の瞬間にどれだけ現実と向き合って、そして満足できるかが鍵なのかもしれない。
死ぬまで踠き苦しむのも悪くない。闘。
閑話休題
9月に入りワタシの陸上シーズンが今年も始まる🏃♂️
今年は恒例の大阪ハーフに加えて桜島ハーフにも登録したので、2本立てで練習を組み立てる。
オフシーズンで体が完全に鈍っており、🇬🇧滞在中に走った時も絶望的なコンディションで泣きそうになったレベルだ。
まずは9月、100kmをしっかり走り込みたい。

ロンドンはランナーが多い🏃🏃♀️ 9月もあと半分。
この土日は”挑戦の心”を改めて忘れずにいたいと思うような週末だった。
闘おう。
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#11 食後にコーヒーはいかが
時差ボケがやっとなおってきた。
お寿司を満腹になるまで食べても20£以下、美味しい緑茶が無料の🇯🇵、あまりにも”おもてなし”の国である。
そんな訳でいかがお過ごしか。

スシローが安過ぎて怖い 最近よく本を読むようになった。
高校生くらいまでは全く読まないただの運動バカだったが、大学生になって少しずつ読むようになり、卒業してからのこの3年は結構な頻度で読むようになった。
なお本を読んでもバカは直らなかった…
そんなわけで最近読んだ本で面白かったものを2冊ほど書きたく。
1冊目は京極夏彦の虚談。

京極夏彦といえば怪談の名著者というイメージは持っていたが、食わず嫌いで京極作品を読んでなかった。
ただ、最近ふらっと新宿の紀伊國屋に寄った時、なぜか吸い寄せられるようにこの本を見つけ手に取り、そして気づいたら読み始めていた。
この本は作り話の短編集、タイトルに書いてある通り全てが”虚談”である。
“虚”
頭では理解しているから信じられない展開もあり得ると分かっている。
なのに思考が追いつかない。
そして気づいたら京極夏彦の世界に引き込まれる。
虚談があまりにも面白かったため、別の作品である鬼談も買って一瞬で読んでしまった。
虚談も鬼談も最初はただの短編小説の顔をしているが、終盤に連れてその顔が全く違う顔に変わっている。
怖いという言葉が正しい言葉ではないが、正確にその感情を言語化できるほど筆が立たないので日々勉強だ。
2冊目は凪良ゆうの多類婚姻譚

昨年のこの頃、人に勧められて凪良ゆうの作品を読んだのが1年前という事に.時が経つことの早さを感じる。
時は常に一定の速度で機械的に過ぎていくが、我々人間は時間というものを”相対”で感じる。一定のリズムで進む時間を時には早く進めと祈り、時にはずっとこのままがいいと祈る。
人間とはあまりにも我儘がすぎる存在である。
閑話休題
凪良作品は人間の機微を生々しく繊細に描くことで有名であるが、本作品も例に漏れずだ。
今回の作品はタイトルにもある通り”婚姻譚”、人々の結婚に関わる話である。
複数の登場人物視点から婚姻に関する話が進んでいくが、3人目の視点辺りから見え方が徐々に変わっていく。
人によって感じ方は間違いなく違うが、読み終わった時には自分の人生を見直すきっかけになる本にもなりうるし、そうであってほしい。
少なくともワタシはそうだったからだ。
そんなわけで2冊を紹介した。
時々は本についても書いてみたい。
9月に入って3日、今年の進捗75%までもう少しだ。
3Q終わりまで気を引き締めて荒波に振り落とされないように頑張りたい。
P.S 今年もマラソンシーズンイン。体重落ちません🥲
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#10 人生芸無
ブログの更新をサボること3か月。
気づいたらまた歳を重ねていた。
歳をとるというのは、たぶん何かを失うことではない。
これまで持っていたものの重さが、少しずつ変わっていくだけのことなのだ。
ただ、その重さが急に”重くなった”ような気がした今日この頃。いかがお過ごしか。
3年前の今日、仙台のマクドかどこかだったであろう、ある友達にこんな話をした。
「この3年間頑張れなかったら自殺しようと思う」と。
友達はあまりにもあり得ない話すぎて笑っていたが、こちらはいたって真剣に話していたのを今でも鮮明に覚えている。
今考えたらあまりにも愚かだが、新卒社会人のワタシはそんな馬鹿なことを大真面目に考えていたのだから面白い。
今なら声を大にして言える。
そんな簡単に死ねるほどこちらの人生は”安くない”と。
そんな親友と今日久々に電話で話した。
お互いに中学校の頃から信じられない程成長した分、また新たな共通の悩みを抱えていた。ワタシタチもあの頃から色々な意味で変わったのだろう。
来月会う時にはお互いの”答え合わせ”でも。
閑話休題
この3年間色々なことがあった。
国内外様々な所へ1人や友達と旅行に行ったり陸上復帰などのおもしろいこともあれば、身近な人の死や稼業での今までにない低パフォーマンス、彼女との別れなど、喜怒哀楽が常にステージで立ち代わり踊るような3年間だった。
この3年間は椎名林檎のある歌の一節が全てを表している
近寄れば悲しく離れれば楽しく見えてくるでしょう
それは人生、私の人生
誰の物でもない、奪われるものか私は自由
この3年間、遠くから見ると毎週好きな所旅行して美味しいものを食べ趣味を謳歌する人にしか見えない。
ただ、実際はただ地獄の中で動く死体であった。
私生活も稼業も何もかもが上手く回らない時間が多く、何度か間違った選択肢が肩を叩いてきたり揺さぶってくることさえあった。
ただ、それもまた自分の人生である。
我々の人生は1回きりの一方通行、ゲームのようにデータを消してリセマラすることも出来ない。
攻略法もなければチートもない。
初期装備に差はあるかもしれないが、大抵は誤差だ。
そんな一発勝負の人生、振り返るだけ無駄である。
ならば今日という1日を、今日からの1年間もただひたすらに、がむしゃらに自分らしく生きていきたい。
我々人間が唯一最期まで平等なのは時間なのだから。
また明日から闘っていこう、自分のやり方で。
実は先ほど書いた椎名林檎の歌にはもう一言続きが。
この人生は夢だらけ
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#9 地獄のあと、23時
毎週末のルーティンであるこの新幹線帰宅ともあと1年、本当にアホみたいな時間である。
5月も下旬に差し掛かり”ゴミ拾いの履歴確認”と共に今年ここまでの時給を計算したところカスみたいな金額が表示された。
“え、低過ぎないか“と思い再計算したが残念ながら計算には寸分の狂いもなかった。
ワタシのような弱小ゴミ拾いは基本的に指数と全く関係ない世界にいる。βで言えば±0.3位の関係だ。
おまけに得意分野が一般のまともな人々とはかけ離れており、基本的に日次では殆どIVが無いため、月次•四半期でのパフォーマンスで幅をとるしか無いのだ。まあ要するに本当の変人しか出来ないのだ(悲しい現実)
今期は今月のパフォーマンスを除いたらお話にならないレベルだったが、今月で完全に指数を抜いたため今期も何とか生きていけそうである。ワタシの様な弱小でも増えるので相当に楽なゴミ拾い場である今年、あとどれくらいゴミが拾えるか見ものである。
来週後半は京都でゆっくりの予定でお店を予約して無敵モードの予定だが、果たしてどうなるか。

最近始めた🐎さん出資 -
#8 且座喫茶
来月はどこに行こうかな。
そんなくだらない事を考える何でもない5月の平日。
嵐のような日々が来た後には大抵いつも穏やかな日々がやってくる。
相変わらず頭の中ではアレコレしたい事が沢山あり、どれから手をつけようか悩みに悩んでいるが、現実世界では平日目の前のタスクや勉強に取り組み休日は旅先で寛いでいる。
まあ、その程度の”したい事”など所詮そんなものなのだろう。
いつもやりたい事は出てくるが、大抵の物事はいつしか興味の対象から外れ消えていく。
唯一継続しているやりたい事が稼業の”ゴミ拾い”なのだから、いかに現実的な人間なのか悲しみさえ覚えるほどだ。
まあゴミ拾いは家系の人間にとって人生みたいなものだから辞めたくても辞められないのだろう。
閑話休題
最近休日はどこか気になる場所にふらっといく事が増えた。
最近ハマっている小説シリーズの舞台であり、喫茶店が数多ある京都や、大好きな街である鹿児島。たこ焼きを食べ歩きに大阪にも行ったりと、まああまりにも旅人である。
昨年は鹿児島にどハマりし何度も通ったが、今年は喫茶店と神社の街京都に通うことになりそうだ。
果たして来年はどこに通うのか、本当にとことんアホな旅人である。

京都の某喫茶店にて -
#7 ゴミノカイトリ
カスみたいな日から1週間。
変わらず気分は最悪だが、悪いことばかりではない。
タイトルの通り”ゴミ”が高値で買取になった。
前から度々言及しているが、ワタシの職業はゴミ拾いなのでゴミが買取してもらえると大変助かる(要は無しょ…..)
久々にポジションも軽くなるので気兼ねなく読書に励める今日この頃である。
(ホンマのほのぼの日記)

今日のごはん -
#6 ダメな時
全てがうまくいかない、そんな時がどんな人にもある。
ここ最近はずっとそんな感じだ。
全てが裏目に出て絶望しての繰り返しで、ブログを書いている今日も最悪な日であった。もはや最悪という言葉で片付けるべきなのかすらわからない。
こんなに上手くいかない事があるのかと言うレベルで酷い最近だが、たまたま乗ったタクシーの運転手にちらっと話したところ、”人生25年なんてまだまだちびっ子ですわな、こっからが本番ですわ”とコテコテの京都弁で返された。そのおじさん曰く、”結局息抜きと勝負のバランスですわな。まだまだこれからや”とのこと。

息抜きの喫茶店✖️📕 まあとどのつまり自分次第であることを再認識させられただけである。
お前の本当にやりたいこと、ものは何なのか。
“What do you want? is it necessary?”
それを突き詰める生活を再び始めるだけだ。
いつだってこのレールを外れる事はできるが、一度外れたらこのレールには戻れない。これだけは肝に銘じて日々を過ごしたい。
閑話休題
最近辛いことが重なった時に、仕事を辞めて大好きな街に住んでバイトで生活する試算をしたところ、割といい暮らしが数十年できる事がわかった。
ならばそんなに焦らないでも良いのかもしれない。ゆっくり自分のやりたいことを見つけてから動いても遅くないのだ。
2026まだ40%が過ぎただけである。
ここからが正念場。
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#5 首輪の色で争う人
ここ数年、SNSの爆発的な普及により元来可視化されなかったものが可視化される様になる事例が多々増えてきた。言い換えれば情報の非対称性が減少してきたとも言える。そんな中でも時節柄最近よく見かけたのがどの会社が俗に言う”上”にあるのかだ。
はっきり言うが、勤め人、即ちサラリーマンに上も下もない。皆平等に首輪を付けられた犬でしかない。
人々が争っているのはその首輪が金色なのか銀色なのか、はたまた他の色なのかという程度である。
結局のところ企業やゴミ拾い専門の人の方が、首輪をつけられていないという観点では自由な生き方を得ている様に見える(実際はそうでもないが)。
首輪をつけられたまま現役を最後まで全うするのか、それとも途中で首輪を外して自分で闘うのか。考える時間はたくさんある様で意外ともう残されていないのかもしれない。
本年、2026年、闘う覚悟できてますか?
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#4 勝てなきゃオワリ
少し前であるが、大学の時にあった知人が破産したと言う話を小耳に挟んだ。
どうやら先にあった銀の乱高下で焼かれたとのこと。
ワタシ的には天才ディーラーというイメージがあったので、衝撃に他ならなかった。
やめれば遊んで暮らすことも出来たであろうが、止めることが出来ないのが我々の性である。
話を聞いてからの1ヶ月、ワタシ自身もゴミ拾いだけでなく人生そのものについて考えることが増えた。
自分の今の置かれた状況を無視して考えた時に、果たして何をしたいのか、何が足りないのか、何をするのが良いのか。1mmも考えが纏まらず、ただただ日々を浪費している。
果たして答えが見つかった時にワタシは何を思うのだろうか。
備忘録であるこのブログに事前に書き残したい。
閑話休題
そんな訳で彼が今どうなってるかは分からないものの、勝てなくなった時に待ち受けるのは死のみということは改めて我々ゴミ拾い側の人間が認識すべきであろう。
この土日も沢山のニュースが速報で流れていた。
この荒波を乗り切れるかが腕の見せ所である。








